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中江有里 (なかえ・ゆり)
女優・脚本家。1973年大阪生まれ。1989年に芸能界デビューし、多数の映画やテレビ作品に出演。2002年処女脚本「納豆ウドン」で第23回BKラジオドラマ脚本コンクールで最高賞を受賞。2006年小説「結婚写真」を上梓、エッセイ、書評など幅広く執筆活動をしている。2004年よりNHK・BS2「週刊ブックレビュー」で司会を務めている。
—— 今日は、おすすめの5冊をもってきていただきました。
まずは、インドの小説で「ぼくと1ルピーの神様」。
インドという国をあまり知らなかったので、読んでみようと思って手に取りました。エンターテイメントとして面白い本ですが、インドの情勢がよくわかる本ですね。インドの人々がいかにたくましく生きていこうとするかが分かる物語です。
貧困に苦しむ少年がクイズ番組にでて、一世一代の賭けにでる物語なのですが、こうした生きることに対する強い思いを、豊かな日本で語ることはできないでしょうね。
—— 少年は、クイズに見事、勝つんですね?
そうです。クイズ番組で全問正解し、莫大な賞金を勝ちとった少年ですが、警察は少年が難問に正解できるはずがないと、詐欺の容疑で逮捕してしまいます。そして一問一問の問いと答えをたどっていきます。
なぜ、全問正解できたか?
それには、はっきりとした理由があったのです。ただ幸運なだけではなく、少年が生きながら勝ち取っていったもの。それが少年を奇跡に導いていきます。物語の底辺に流れているのは、重いインドの現実ですが、本書はそれをエンターテイメントとして読めるように描かれています。
クイズの一問一問が少年のどのような経験から正解を導きだすことができたのかを、テンポよく知ることができます。
—— それでは、次はミステリーでトマス・H.クックの「緋色の迷宮」ですね。
実は、トマス・H.クックの作品を、初めて読みました。家族を描いた作品に興味があるので、この本を選んでみました。幸せそうに見える家族が、年頃の息子への疑惑でどんどん変わっていく。いくら家族といっても、一人一人が何をしているかをすべて分かるわけではない。これから何をするか分からない。……そんな現実をクールに描いた現代的な小説です。
—— 息子への疑惑をもつことが、きっかけになるそうですが……
近所の少女が失踪し、父親は、自分の息子が誘拐したのかもしれないという疑惑をもつようになります。それというのも父親の兄もそういう幼女への異常な性向を持っていたから。兄のDNAが息子に受け継がれているかもしれないという不安をもつようになったのです。
この父親の疑惑は「酸」のようなものなんです。触れるものすべてを腐らせていく……。父親が作った最も信頼できる存在のはずの家族が、父が息子への疑惑を持ちはじめたことで、壊れ始めてしまう。小さな町の中の小さな家族の話なんです。息子の疑惑を晴らすためには、真犯人を見つけないといけない。でも、家族だけでいくらがんばっても限りがある。やがて、疑惑は町中にも広がりだす。そんな時どうすればいいのか?
……家族の絆が壊れて、悲しいけれど生きて行かなくてはならない。人生はリセットできない、最期まで生き抜くしかないんだということを言いたかったのだと思います。
—— 次は、川上弘美さんです。多くの著作から「真鶴」を選びましたね。
失踪した夫の日記に「真鶴」という文字を見つけ、"ついてくるもの"にひかれて「真鶴」へ向かう妻の話ですが、川上さんの作品は、あらすじやストーリーを読むものではないと思います。ストーリー自体は、大きな展開とか複雑な伏線を追うものではないですから。
川上さんの持っている文体とか、前にも後ろへも行けないような空気感を味わうべきだろうと思います。「真鶴」は、ここ数年で読んだ川上さんの作品で最も感動した作品です。
この独特の作品世界は、映像では表現が難しいと思います。また、平仮名の使い方も独特です。平仮名の持つやわらかさや、味わい深さを効果的に使っています。この平仮名の繊細なニュアンスは、翻訳もできないのではと思います。映像化も翻訳も難しい作品世界、これこそが文学といえるのではないでしょうか。
何度も立ち止まりながら、読んでいくとふと自分の心を掴まれるような瞬間があるんです。著者が意図しているのかどうかわかりませんが、私は読んでいて急に泣けてくるところがありました。
人間関係の距離感、孤独感を描いていますが、それがこの世の真実なのではないか?と思います。つまり家族や、恋人といった関係も、つきつめればそれぞれ孤独な存在なのではないかと思います。
—— そして文豪の名作ですね。「カラマーゾフの兄弟」の新訳です。
名作中の名作だけあって面白いですね。私が読んでいるのは新訳のほうです。従来の訳は、ロシア人の主人公の名前が長くて覚えにくい。あと、名前の他に愛称もあるので余計混乱するのだと思います。新訳の方はこの難しい名前が整理されて読みやすくなりました。
翻訳者の亀山さんのご苦労は大変なものがあったと思います。
これも、家族の小説ですね。一言でいうと「ジャンケン」みたいなお話。グーは、パーに負けて、パーはチョキに負ける。でもチョキはグーに負ける。ミーチャ、イワン、アリョーシャの3人兄弟の関係ですけど。でも3人の息子は、父親フョードルには勝てない。
—— やはり、フョードルはとんでもない父親ですね。
それにしてもこの父親は、よくこんなひどいことをして生きながらえてるな、と思いますね。家族を操って、自分の欲望のまま思い通りにして、それなのに破滅せず生きている。なんというか、ここまでくると圧倒されますね。
この小説のテーマの一つに「父親越え」があるのではと推測しています。
こういった古典の文学が時代に則した、読みやすい新訳で出てくれることは、本当にありがたいです。
—— これは、エッセイ集になりますね。向田邦子「父の詫び状」
最近、エッセイの仕事をさせていただくことが多いのですが、行き詰まった時に戻ってくる教科書的な作品です。向田さんの小説は展開がスリリングですが、エッセイもまたスリリングで楽しませてくれます。
とにかく構成がうまいですね。話の入り口からは想像もつかない意外な出口へ。いつも驚かされます。どうしてこういう風に話を広げられるのか、と思います。視覚的な描き方を重視してるからなんでしょうか。エッセイも小説の展開のように考えて書かれたのかもしれません。また、身の回りのことをただ書くだけでは足りなくて、その日常の中から作家の視点が垣間見えることが必要なのではないかと思います。
—— 向田さんのお父さんは、とても頑固だったそうですね。
印象に残った話といえば、向田さんが父親と喧嘩してついに猫一匹を連れて家を出る話。父親は古い価値観の人で、しかも頑固で固めたような性格。それで衝突してしまうんですが、向田さんが出ていった後も断絶することはなく、心の底ではお互いのことをどこかで気にかけて通底している。そんな親子関係に感動しました。
向田さんの文章は、どこか父の匂いがしますね。頑固な父の存在が、向田さんのキャラクターに影響しているのでしょう。向田邦子という作家を生んだのは、この父がいたからと思えてなりません。
—— そして中江さんご自身の作品で「結婚写真」ですね。
この本で書きたかったのは「形からの脱却」ということです。たとえば結婚というのは、女性の生き方のある形ですね。妻の座を手にいれれば女性の生き方は終わり、というような形を打ち破ることですね。
この作品の狙いとしては、視点を変えていることです。シングルマザーの母、その恋人、そして娘の3人それぞれの視点で書いているんです。身近な存在であっても、実際に本当のところは、お互い何を考えているかわからないじゃないですか。そこで視点を分けて、読者だけが3人の意図が全てわかるように描きました。
自分としては視点を変えて描くことは初めての挑戦でした。読者を混乱させないかと心配でしたが、読んでくれた方は読みやすかったと言ってくれるので良かったと思っています。
—— よく行く馴染みの本屋さんなどはありますか?
ベストセラーになっているものは、あまり読まないんですよ。本の売り上げベストテンとかもあまり見ません。だから本屋さんに行くことがあっても、本を選ぶときに、ベストセラーコーナーとか、話題の本のコーナーよりも人があまりいないコーナーに行ってしまいます。
本を選ぶのは、口コミが多いですね。あと、新聞や雑誌の書評欄ですね。もちろん「週刊ブックレビュー」の中で取り上げられた本も読んでいます。
—— 本を読むのはどういう場所が多いですか?
家のリビングとかですね。本もいろいろ置いてあるし。あと、意外といいのが新幹線ですね。2〜3時間はなにもすることがないので、かなり読書に集中することができますね。
—— 本屋大賞はご存じですか
もちろん知っています。毎年、大賞に選ばれた以外の作品もよく読んでますね。ノミネートされた作品はどれも面白くて、さすが本好きの本屋さんが選んだ作品だと思いました。
「ぼくと1ルピーの神様」ヴィカス・スワラップ/著, 子安 亜弥/訳 (ランダムハウス講談社)
「緋色の迷宮」トマス・H. クック/著,村松 潔/訳 (文藝春秋)
「真鶴」川上弘美(文芸春秋)
「カラマーゾフの兄弟」 ドストエフスキー/著 亀山郁夫/訳(光文社古典新訳文庫)
「父の詫び状」向田邦子/著(文春文庫)
「結婚写真」中江有里/著(日本放送出版協会)