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大賞作家小川洋子さんが副賞10万円で購入した本 2004年本屋大賞

『2004年本屋大賞』で大賞を受賞された小川洋子さんが副賞の図書カード10万円分で購入した中身とは!?

2004年本屋大賞 大賞作家 小川洋子さん

購入書籍リスト

「魔法の石板 ジョルジュ・ぺロスの方へ」(堀江敏幸/青土社)

「乱視読者の英米短篇講義」 (若島正/研究社)

「タングステンおじさん 化学と過ごした私の少年時代」(オリヴァー・サックス/斉藤隆央訳/早川書房)

「夜の果ての旅」上下巻(セリーヌ/生田耕作訳/中公文庫)

「父の帽子」(森茉莉/講談社文芸文庫)

「薔薇くい姫・枯葉の寝床」(森茉莉/講談社文芸文庫)

「贅沢貧乏」(森茉莉/講談社文芸文庫)

「私の美の世界」(森茉莉/新潮文庫)

「京都の洋館」(京都モザイク編集室/青幻舎)

「ジョゼと虎と魚たち」(田辺聖子/角川文庫)

「Sickened 母に病気にされ続けたジュリー」(ジュリー・グレゴリー/細田利江子、寺尾まち子訳/竹書房文庫)

「救急精神病棟」(野村進/講談社)

「ベル・ジャー」(シルヴィア・プラス/青柳祐美子訳/河出書房新社)

「雪沼とその周辺」(堀江敏幸/新潮社)

「『バンコク・ヒルトン』という地獄」(サンドラ・グレゴリー/川島めぐみ訳/新潮社)

「驚異の発明家{エンヂニア}の形見函」(アレン・カーズワイル/大島豊訳/東京創元社)

「がんから始まる」(岸本葉子/晶文社)

「歴史遺産 日本の洋館 第五巻昭和篇1」(文・藤森照信 写真・増田彰久/講談社)

「阪神間モダニズム」(「阪神間モダニズム」展実行委員会/淡交社)

「二楽荘と大谷探検隊」(芦屋市立美術博物館)

「芸術新潮 特集ロシア絵本のすばらしき世界」7月号

「グリコのおもちゃ箱」(加藤裕三/アムズ・アーツ・プレス)

「広告キャラクター大博物館」(ポッププロジェクト編/日本文芸社)

「周期律 元素追想」(プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳/工作舎)

「英国カントリー・ハウス物語」(杉恵惇宏/彩流社)

「魔王」上下(ミシェル・トゥルニエ/植田祐次訳/みすず書房)

「あしや子ども風土記」(芦屋市文化振興財団)

本屋大賞のご褒美で買った本〜小川洋子さん

第一回本屋大賞のご褒美は、全国の書店員さんがお店に飾って下さったポップのスクラップ帳と、10万円分の図書カードだった。4月の授賞式以来、何度もスクラップ帳を開いてきた。「博士の愛した数式」のために、名前も顔も知らないどなたかが、こうして一枚一枚、美しいポップを書いてくれたのだと思うと、それだけで励まされる。さあ、また新しい小説のために、真っ白い原稿用紙の前に座ろう、という勇気が与えられる。

また同時に、博士と家政婦さんとルート少年が、遠いどこかへ旅立っていったような感慨も覚える。彼らを作り出したのは間違いなく自分だったはずなのに、その実感は薄れてゆくばかりだ。もはや三人は私の手の届かない、読者の心の中にいる。そしてそれが少しも淋しくない。むしろ登場人物たちが新しい場所で、作者の思惑を越えた役割を果たしていることに、驚きと喜びを感じている。

さて、もう一つの図書カードについてだが、これもまた“2004年本屋大賞”と特別に印刷されたカードが、可愛らしい赤い箱に収められていて、とても心がこもっていた。ある時、インタビューの仕事で一緒になった方が、
「若くてお金がなかった頃、もし今目の前に10万円あって、好きな本が買えるとしたら何を選ぶか、あれこれ考えてリストを作るのが楽しみでした」
 とおっしゃった。たとえ貧乏でも、書物によって魂を豊かに保ちたいと願う若者が、ノートの端っこに、本の題名を書き連ねている様子を、いとおしい思いで想像した。その若者の姿は、20年以上昔、武蔵小金井の四畳半の下宿で、どうにかしていい小説を書きたいともがいていた、私自身でもあった。

当時、新刊の単行本を買うのは、何よりの贅沢だった。一割引きで購入できる大学の生協以外、普通の書店で買物をしたことがなかった。古本や文庫や図書館で借りるのではなく、まっさらな新刊を自分だけのものにしたい気持が、純粋な本物の欲求であるかどうか、お財布と相談しながら、吟味に吟味を重ねた上での買物だった。

なのに今、もしではなく、現実に10万円の図書カードが自分の手にあるのだ。それで好きな本を買っていいのだ。こんな贅沢が他にあるだろうか。武蔵小金井の下宿にいる自分に、このご褒美を見せ、
「だから頑張って小説を書き続けなさい」
と、励ましたい気分だった。

現在までに図書カードで購入した本のリストは、左記のとおりである。全く支離滅裂で何の統一感もない。年甲斐もなく舞い上がっているうえに、この際買いそびれていた本を手に入れておかなければ、というがめつさもありありと出ている。

恐らくこういうリストには、否応なくその人の品格が現われるものなのだろう。志の高さや教養の深さが、リスト全体に得も言われぬ味わいを漂わせる。そう考えると恥ずかしくてたまらないのだが、仕方ない。とにかくこれが、私のリストです。

堀江敏幸さんは常に場所を描く作家だと思う。人物を描写していても、こちらに伝わってくるのは、彼らが立っている場所の色合いや空気の質や壁の手触りだ。彼らは皆どことなく控えめで、自分は単に場所の一部分にしか過ぎないのだ、というふうに振る舞う。その思慮深さがたまらなく私を引き付ける。

というわけで、堀江さんの本が2冊入っている。「雪沼とその周辺」は特に場所への意識が濃い作品集だが、中でも「イラクサの庭」に出てくるレストラン兼料理教室のたたずまいが、イラクサスープの苦味と、氷砂糖の甘味とともに印象深く残る。
「魔法の石板 ジョルジュ・ペロスの方へ」は、作家ペロスの文学に寄り添い、その生涯を慈しむエッセイでありながら、やはり私の胸に迫ってくるのは、ペロスが言葉を書き付けていた屋根裏部屋の風景だ。貧困にもひるまず、死産した双子の弟の不在を背負いつつ、朝六時に鳴る教会の鐘を聞きながら、作家が仕事をした屋根裏部屋。そこは、ものを書くことの尊さを証明する場所なのだ。

神経医学者オリヴァー・サックスの「妻を帽子とまちがえた男」はすばらしい本で、あまりにも圧倒的な事実は、事実の境界を越える時、上質の物語を生み出す、ということを教えてくれた。読み終わった途端、たまらなく小説を書きたい気分になり、本書に出てくる視覚的失認症をヒントにして、図々しくも短篇を書いたのだった。しかしその作品は、上質、とは言い難かったのだが。

同じ著者による、自身の少年時代の回想が「タングステンおじさん」だ。私はタングステンが金属元素の一つであることさえ知らない化学音痴だが、それでも大いに楽しめた。医者の両親や、金属工場を経営する伯父さんから化学の魅力を教わり、少しずつ世界を広げてゆくオリヴァー少年の姿が愛らしい。

地球の核が頼りがいのある巨大な鉄の球だと知って安堵し、自分が太陽や星と同じ元素からできていると知って胸を躍らせる。さらには、バスの乗車券に印字されたアルファベットと数字が、偶然にも元素記号とその原子量になっているものをコレクションしはじめる。例えば、O16、S32、C12、F19……等など。最も困難と思われた塩素(原子量35・5)は、Cl355を見つけ、自分で小数点を書き入れて解決する。こうして92の元素すべての化学乗車券を手に入れたオリヴァー少年は、コレクションをポケットに入れて持ち歩き、まるで全宇宙を収めているかのような喜びを味わうのだった。

こんな少年が身近にいたら、思わず抱き締めないではいられないだろう。利発で素直な少年(決して少女ではなく)が登場する本ならば、私は何でも好きになってしまう。

2年半前、芦屋に引っ越して以来、関西弁の小説に興味を覚え、谷崎の「細雪」など読み返しているうち、久しぶりに田辺聖子さんの小説が恋しくなって「ジョゼと虎と魚たち」を購入。凄い。こんなに凄い小説がこの世にあるのを、今まで知らずにいたなんて、私はあまりにも愚かだった。

表題作のラストで、ジョゼが(アタイたちは死んだんや)とつぶやく場面。そこにたどり着いた時、ページを持つ指がしばらく動かせなかった。誰かを愛しすぎた時、人は死の匂いをかぐ。

森茉莉は私にとって不思議な作家だ。“茉莉言葉の森”に住む作家である、という不思議さは当たり前なのだが、なぜか彼女は私の本箱がお気に召さないらしく、知らない間にこっそり家出して、二度と戻ってきてくれない。知人に貸してそれきりになったり、引っ越しの時行方不明になったり、ふと気がつくと、そこにあったはずの森茉莉の本が消えている。けれどしばらくすると必ず、また読みたくなって、本屋さんへ走る。こんなことを幾度か繰り返している。

方向音痴の私は常に迷子の状態で梅田の地下街を歩いているので、なかなか紀伊國屋へたどり着けない。今日は紀伊國屋で本を買おうと決意して家を出ても、結局行き着けないまま、大丸デパートで栗羊羹だけ買って帰ったりする。ところがその日は、元々大丸デパートへ行くつもりが、紀伊國屋へ到着した。これは運がいいと、心行くまで棚の間を歩き回り、森茉莉と再会したのだ。今度はいつまで居てもらえるか自信はないが、とにかく4冊購入した。

梅田にくらべると三宮の方がいくらか分かりやすい。三宮のジュンク堂は地上の、しかもアーケードの中にあるので、アーチ型の入口にさえ立てば、あとは真っすぐ歩くだけで見つけられる。ここの書店員さんはいつも忙しそうに立ち働いているが、「この本ありますか?」と尋ねると、ぱっと手を止め、目指す場所まで連れて行ってくれる。そのてきぱきした感じが気持いい。

さて、青山ブックセンターの閉店はショックだった。本屋大賞の運営にも、ABCの方が尽力して下さった。授賞式の時、美味しい中国茶をプレゼントしてくれた方もいた。皆さんのお顔を思い浮かべ、案じている。

「『バンコク・ヒルトン』という地獄」は、ヘロインを体内にしのばせ、バンコクから日本へ密輸しようとして逮捕され、25年の刑を科せられた英国人女性の手記だ。どんな理由があったにせよ、たった20万円のお金欲しさに罪を犯してしまった彼女に、感情移入できないまま読み切ってしまった。家族思いで理知的な彼女の心は、長い刑務所生活の中で次第にすさんでゆく。囚人仲間が倒れても、助け起こそうともせず、ただ厄介事が自分に降り掛かってこないようにとだけ願う。刑務所が罪を償う場所ではなく、人間性を失う場所になっていることが恐ろしい。

私の洋館好きがどこからきているのか、自分でもよく分からない。町を歩いていて、古い洋館を見つけると、いつまでもうっとり眺めている。洋館に関する本を見つけると、素通りはできない。「京都の洋館」「歴史遺産日本の洋館」「二楽荘と大谷探検隊」「英国カントリー・ハウス物語」。洋館の本は何冊あっても邪魔にならない。

ミシェル・トゥルニエの「魔王」。またしても凄い小説を読んでしまった。守護天使の一撃を受け、胸部にくぼみを持った大男ティフォージュが、世の中の徴<しるし>の解読を使命とし、“担ぎ”の意味を体現してゆく物語。「オウエンのために祈りを」(ジョン・アーヴィング)において、オウエンが自分の極端な身体の小ささに使命を見出したのと対をなすかのように、ティフォージュはその長身によって、最後、星を担ぐ。

物語とは、何と底知れない力を秘めているものなのだろうか。私は一種、恐れを抱いて、再び白紙の原稿用紙の前に座る。

…「本の雑誌」2004年10月号に掲載